イワン・パブロフ② 生理学の研究

1875年 サンクトペテルブルク大学を卒業。

パブロフの先生だったツィオン先生が医学専門学校(のちの陸軍軍医学校)の生理学の
教授となり、その助手として働きながら三年生として入学しました。しかしツィオン
が教授を辞めたため助手を辞めざるを得なくなります。

1876年 獣医学校のウスティモヴィッチ(Ustimovich)教授が助手として使ってくれたため
に、再び働きながら通うことができました。

1877年 ブレスラウ大学のルドルフ・ハイデンハイン(Rudolf.P.Heidenhain)教授研究室に留
学。

1878年 軍医学校の医学教授で皇后の主治医だったセルゲイ・ボトキン(Botkin)教授が、小さ
な研究所を開設、その運営にパブロフは推薦され研究室研究員として雇われます。
この研究所で調査研究を監督し、施設を使って自身の研究を行いました。

1879年 陸軍軍医学校を卒業。ペテルブルグ大学教育学科の女子学生だったセラフィーマ・
ヴァシリエブナ・カルチェフスカヤと共通の友人で出会い、結婚前の二年間、会えな
い時期の二人は毎日のように手紙をやり取りしました。

1881年 セラフィーマと結婚。セラフィーマは、パブロフと離れて農村の学校に勤めに行って
いました。パブロフは、農村に出発した妻にだした手紙では「あなたが農村の働く
人々の中へ行くことをうれしく思います。私たちのまわりでは働く人たちの生活の理
想は実現しそうにありません。それはあなたが行かれた場所だけで実現できるもので
す。あなたの時間と力と希望を、自分に任された子どもたちが、立派な成績を修める
ことに捧げてください。」と書いています。

1883年 「心臓の遠心性神経」で医学博士の学位を取得しました。

1884年 コンテストで西ヨーロッパで科学研究を続けるための給付金を獲得し、ドイツに
1886年まで留学し、ライプチヒ大学のルドウィヒ(Ludwig)研究室とブレスラウ大学
のハイデンハイン(R.P.Heidenhain)教授研究室に2年間留学し、心臓や消化器につい
て学びました。

1888年 消化器生理学の研究を開始

1889年 「ウソの食事(偽飼法)の実験」により、生理学者を驚かせました。

1890年 軍医大学校の薬理学教授に就任。

1891年 民間の人たちの寄付でサンクトペテルブルクに実験医学研究所(現アカデミー生理学
研究所の一部)がつくられ、その生理学実験室生理学部長となり、以後45年間在職し
ました。

1893年 アルフレッド・ノーベルより、医学研究所の規模を倍にできる額の寄付を受け取りま
した。

1895年 軍医大学校薬理学教授から生理学教授へと配置換えになりました。

1897年 実験医学研究所で主に行った消化に関する生理学的な研究と、軍医学校で医師に対し
て行った連続講義の内容が「主要消化腺の働きに関する講義」と題して出版されまし
た。

同書は1899年にドイツ語訳、1901年にフランス語訳、1902年には英訳、1910年に
英訳第2版が出版されました。

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