イワン・パブロフ③ ノーベル賞受賞

1901年 ロシア科学アカデミー準会員

1902年 唾液が口の外に出るよう手術した犬で唾液腺を研究中、飼育係の足音で唾液が分泌し
ていることを発見。そこから条件反射の実験を行う。行動主義心理学の古典的条件づ
けや行動療法に大きな影響を与えました。

1903年 4月、マドリッドの国際生理学会の総会で、「動物における実験心理学と精神病理
学」と題して講演を行い、その中で初めて無条件反射、条件反射という用語を用い
て、消化活動の研究中に見られた心的分泌について触れていました。

1904年 「唾腺の心理的興奮」を出版。

同年、犬を用いた消化腺活動に関する生理学的研究によって、第4回ノーベル生理
学・医学賞を受賞。ロシア人として、また生理学者として初のノーベル賞受賞者とな
りました。
初期には消化腺の研究を行ったが、ノーベル賞受賞式では消化腺の話題よりも条件
反射と無条件反射に関する演説を行いました。
また、ノーベル賞の制度が作られて1901年から毎年ノーベル賞候補者に推薦されな
がら3年にわたり受章に至りませんでした。

受賞をルドウィヒ研究室に留学していた時にパブロフと一緒で非常に親しかったス
ウェーデンの医学者でヘルシンキ大学・生理学教授であるロバート・ティーゲルシュ
テット(Robert.Tigerstedt)からの手紙で知り、非常に驚いたとパブロフの妻セラ
フィーマ(Serafima)は述べています。また、受賞を喜ぶ妻に対して「あなたはただ
の偶像を描いて喜んでいるだけだ。別に特別なことは何もない。ただあることは、事
実から生まれた結論に基づいた考えの論理的発展があるだけだ。」と語ったとされて
います。
夫妻は授賞式出席にあたって、礼服がなくパブロフに礼服と妻にドレス2着が用意さ
れました。
12月7日にストックホルム到着、その日にノーベルの甥に会って、翌日はノーベル委
員会委員長を務める大学総長のいるカロリンスカ医科大学を訪問しました。                  12月10日(金曜日)王立音楽アカデミーのコンサートホールで授賞式が行われ、この
日は非常に寒かったものの雪は降っていませんでした。

1907年 ロシア科学アカデミーの正会員に選出されました。

1909年 英国王立協会会員

1910年 レニングラード(現サンクトペテルブルク)郊外のコルトゥシに、研究用の防音効果を
備えた研究室「沈黙の塔」の建設を始めました。
その後ロシアは内戦状態に陥り、1917年にボリシェビキ党が政権を握りました。
ボリシェビキ政権にノーベル賞の賞金を没収されました。
ノーベル賞賞金はパブロフが受賞した1904年で150,000スウェーデン・クローネ
(36,000ドルに相当)で、ノーベル一族の会社の支店に預けていました。

1912年 「沈黙の塔」完成

1913年 ケンブリッジ大学名誉学位授与

1916年 英国王立協会からコプレー賞杯授与。

大たい骨を骨折し、臥床。

日本の石川日出鶴丸が1908年から3年間ドイツ・ゲッチンゲン大学に留学し、日本へ
の帰路にパブロフの研究室に短期間滞在しました。1916年、その時の体験を「露国
の代表的科学者パウロフを論ず」と題して雑誌「太陽」に寄稿し、パブロフの消化生
理の研究と様々な手術法を簡潔に紹介しました。

同年、日本の黒田源次が心理研究に「パブロフの条件反射研究法に就いて」を発表し
ました。

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