オレ・イヴァ・ロヴァス1 誕生から空軍勤務まで

オレ・イヴァ・ロヴァス(Ole・Ivar・Lovaas,1927~2010)は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授で、臨床心理学者です。
離散的思考訓練(DTT)を開発し、応用行動分析(ABA)の分野における先駆者の一人です。ロヴァスはアメリカ心理学会からドール賞、国際行動分析協会からマスメディアでの行動分析の効果的な発表賞、サイコロジー・トゥデイから精神保健賞、グッゲンハイムフェローシップなど多くの賞を受賞しました。

1927年 ノルウェーのブスケルー(Buskerud)郡にあるリーエル(Lier)に生まれました。リー
エルはオスロ市から電車で約40分の小さな村で、リンゴの生産地で有名で、牧羊で
も知られています。
ロヴァスの両親は、父エアンスト・アルバート(Ernst Albert Lovaas)と母ヒルドゥ
ア(Hildur Lovaas)で、姉のノラ(Nora)と弟のハンス・エリック(Hans Erik)の三人
兄弟です。
父は祖父と同じ時計職人をしていましたが、織物の労働者になり、結婚した時には
ジャーナリストとして地方紙の編集者をしていました。
また、労働運動にも関わっていました。
ロヴァスは、高校を卒業するまでリーエルの農業自治体に住んでおり、ロヴァスは子
どもの頃から美しい田園地帯をスキーで散歩していました。

1940年 ナチスによるノルウェー占領の間1940年4月9日の日。ロヴァスは13歳で農場での労
働者でした。
その日の午後にリーエルの上空や近くのフィヨルド上でイギリス軍とドイツ軍の戦闘
機の戦いがあり、軍用機1機が撃墜されて9人の若い男性がリーエル上空で殺されまし
た。
この時の出来事を34年後にロヴァスは「その日を決して忘れません。その日の朝、学
校に通い、先生たちがそこに立っていたのを覚えています。そして私たちに家に帰る
ように言いました。その日の午後に、緑色の男性たちが変わったヘルメットをかぶっ
て谷のあちこちを這っていました。それはエデンの園のアブラムシのようでした。」
と語っています。

1941年 小学校を卒業し、中学校は隣町ドラメンにある3年制のドラメン実科学校(Drammen
Realskole)に進学しました。
しかし、1942年にロヴァスの通っていた学校の男性教師35名が逮捕されて、ノル
ウェー最北のフィンマルクに 強制送還されてしまいました。
ナチス・ドイツをノルウェー占領のために協力したクヴィスリングが創設したファシ
ズム政党である国民連合に教員組合が抵抗したためです。
残された厳しい状況の中で女性教師たちで授業は続けられ、1944年に17歳で卒業し
ました。

1944年 ドラメンラテンスクール(Drammen Latin School)に入学し1947年に卒業しまし
た。
教育はナチスのドイツ軍によって妨害されましたが、ノルウェー占領から5年後にな
る1945年5月8日に戦争は終わりました。
高校時代のロヴァスは社交的でユーモラス、人気があり、学校で頭が良かったとロ
ヴァスの同級生は言っています。
また、音楽が好きでバイオリンを弾いていました。

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