A・バンデューラについて1 アメリカ心理学会会長まで

アルバート・バンデューラ(Albert Bandura)

自己効力感や社会的学習理論で知られるスタンフォード大学心理学部社会心理学科教授です。
1950年代後半、当時優勢だった行動主義学習理論の中で、ウォルターズと協力して社会的学習理論、モデリング理論を提唱したことでも知られます。
従来の学習理論が、学習する個体(人間や動物)自身の経験を前提としていたのに対して、学習が他の個体の行動を観察することによって成立することを実証し、新たな理論づけを行いました。
また、攻撃的行動の不可避的先行条件としてフラストレーションを重視する「フラストレーション攻撃仮説」を批判しました。

2002年に行われた「20世紀を代表する100人の心理学者ランキング」で4位になり、国際的に論文引用の多い学者として知られています。

1925年 カナダのアルバータ州北部のポーランドとウクライナからの移民400人の小さな村マ
ンデア(Mundare)でポーランド人の父とウクライナ人の母との間に末っ子で6人目の
ただ一人の男の子として生まれました。

父親はカナダ横断鉄道の敷設作業をし、母親は町の雑貨店で働いていました。彼らは十分な貯蓄を得た後、土地を購入して自分たちの手で土地を耕し、農場を作りました。
バンデューラは高校時代の夏休みにエドモントンの家具製造工場で働きました。そこで身につけた技能は大学時代を支えることとなりました。
高校卒業後、ユーコン(Yukon)で、アラスカハイウェイ(Alaskan Highway)の維持管理の職を得ます。
その頃、一緒に働く人々が飲酒やギャンブルに浸るのを目撃し、人間の生き方の示唆を得たといわれます。

1949年 カナダのバンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学(University of British
Columbia)を卒業し、アメリカに移住しました。
フロリダ州立大学で心理学修士を取得しました。

1950年 アイオワ大学を卒業し、同大学の大学院に進学しました。

1952年 アイオワ大学(University of Iowa)で博士号(臨床心理学)を取得しました。
ゴルフ場で出会った看護大学の教員ヴァージニア(Viginia Varns)さんと結婚しま
した。
アイオワ大学病院やウィチタガイダンスセンターで臨床経験をしました。

1953年 アメリカ・スタンフォード大学(Stanford University)の教員になりました。

1954年 長女メアリーが誕生しました。

1958年 次女キャロルが誕生しました。

ボボ人形を使った実験(1961年)

実験では、まず参加者である子どもが実験群と統制群に割り振られました。
実験群には大人が風船のように膨らませた「ボボ人形」に口汚くののしりながら乱暴に扱って攻撃を加える映像が提示され、統制群には大人が普通に静かに遊んでいる映像が提示されました。
提示後に子どもに映像を撮影したプレイルームに入ってもらい、自由に遊ぶように教示しました。
その結果、身体的攻撃を行った割合が統制群が1.05に対して実験群で12.73、言語的攻撃を行った割合が統制群が0.35に対して、実験群が8.18と、実験群では目に見えて攻撃行動が多く見られました。
この結果をもって明らかな強化を与えなくてもモデルの行動を観察することで自発的に学習が成立するとバンデューラは提唱しました。
つまりバンデューラは、攻撃行動は他人の攻撃行動観察することによって促進されるとし、社会モデルの示唆的効果を強調したモデリング理論を唱えました。
この立場では、他人の攻撃場面を観察することによる鬱憤の解消、すなわち浄化作用を認めず、むしろ攻撃行動を促進させると見ています。

1964年 スタンフォード大学の心理学教授になりました。
アメリカ心理学会のフェローに選出されました。

1969年 行動科学の高等研究センターでフェローとして一年間を過ごしました。

1971年 「モデリングの心理学-観察学習の理論と方法(Psychogical modeling:conflicting
theories)」を出版しました。

1974年 アメリカ心理学会会長を務めました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする