植物介在療法としてのミリューセラピー
ミリューとは、フランス語で「間」、「中間」、「中庸」、「(社会的)環境」、「風土」という意味を持つ言葉です。
ここではミリューを人を取り巻く環境を指し、そこに存在する人間の文化や生活を基盤とする風土そのもので、それに基づいた対象者の生きられる環境がミリューで、「生きられる風景」を構成する要素という意味としています。
例えば病を得たものは必ずしも明るい風景ばかりを好むわけではなく、生きられる風景はそれぞれに違います。風景が人を包み込み癒す積極的な治療媒体として、大きな力を持つことが理解できます。
ミリューセラピーの整備の視点は以下の5つです。
(1) 時間の経過が感じられる自然
(2) 自然の循環が感じられるもの
(3) 五感を刺激し、知覚を開き、心を開く
(4) 瞑想できる
(5) 人との交流を促進できる
ミリューセラピーは植物介在療法としても用いられます。
そこでは、植物を眺め、感じ、育て、刈り取り、などを通して、子どもが表現することを可能とさせる風土を積極的に活用します。
また、作業によるリハビリテーションというだけでなく、緑の中に身を置くことにより、その葉の重なり合う音や、匂い、木漏れ日の眩しさなどを互換を刺激します。
東京農業大学農学部バイオセラピー学科で植物介在(園芸)療法の研究室教授の浅野房世先生は、都市および地方計画の技術士で、一級造園施工管理技士です。浅野先生は公園や施設の庭造りの中で、「歩きやすい庭園を造るより、そこまで歩いてみたいという気持ちにさせる庭園を造りたい。身体の中から”歩こう“”歩いてみたい“という気持ちになる事がリハビリを効果的に指せる。」とおっしゃっています。
浅野先生が担当した症例
患者は40歳女性です。お母さんの突然の死のショックにより、過呼吸、失神などの症状を発症しました。半年ほど入院していったん退院しましたが、二か月後に再入院になりました。
患者には最初の面接のときに12枚の風景のカードをお見せして会話を成立させていきます。この方は、「植物を介在させるとお母さんを思い出すので嫌」とおっしゃいました。
特に、お母さんは押し花をしていたので嫌だと。ところが、嫌だといいながら、12枚の風景に関して1枚ずつの思いを40分かけて語られ、最後は「今日は楽しかった」と言って出ていかれました。
面接が終わってすぐ後、雨が降っている日に声を掛けてきて、「桜の花びらが雨に濡れていきます。これはとてももったいない。何かに使えないでしょうか」と言われました。
そこで第1回のプログラムでは桜の花びらを紅茶を入れるようなネットに入れて絵を描いてもらうことにしました。20枚の画用紙を台紙として用意し、その都度、その人に気分にあった紙を使ってもらうようにしました。
消しゴムを削って印を作って、24色の絵の具を用いて落款しました。
次の回はハナミズキの花で絵を描き、次はビオラ、ツツジ、アヤメと続き、六月にはヤツガシラとバラ、野イチゴの三部作を作り、ヤツガシラの花を台紙の上に置いて石で叩いて色を出し、そのままの形を押し花のような形で作りました。
また、五月にはアサガオ、ホウセンカ、ベゴニアを植え、観察を進めました。
どんどん大きくなっていくのを見て、「だんだんかわいくなってきた」とおっしゃっています。
この人は、必ず2つの花があり、「いつも2つですね」というと「そうですね。やはり寂しくないように、いつも二輪描いていました」と言っていました。でも六月の終わりに描いたヤツガシラは一輪を大輪で描いています。
その頃、アサガオが開花しました。プログラムが4カ月であったため、早咲きを選びました。
この花を使ってアサガオを描いています。ベゴニアの方も開花し、初めてしっかり意識しながら一輪一輪をしっかりとした形で描きました。最後には展覧会をして、同室の人たちを読んで一つずつ説明しておられました。
この症例の方は、母親の死にショックを受け、母を思い出す鼻に近寄ることに恐怖を感じていましたが、何らかの形で自分を表現することを求めていました。
やがて母とは違う花の活用方法によって、自身の表現を始めました。その段階が熟すると、花を育て始めます。
初めは絵を描くことだけに必死でしたが、徐々に落ち着きを取り戻していきました。
参考図書
生きられる癒しの風景―園芸療法からミリューセラピーへ
著者:浅野房世・高江洲義英
人文書院
2008/6/1