ハンス・アスペルガーについて

ハンス・アスペルガー(Hans Asperger,1906~1980)

第二次世界大戦前

ハンス・アスペルガーは、オーストリア=ハンガリー帝国生まれの小児科医です。ウィーン大学の小児科医として勤務し1935年に治療教育部門の責任者となり、治療病棟等ともに立ち上げられた生活支援施設では治療にとどまらず、生活全般を支える取り組みが行われていました。

その施設にはさまざまな境遇の子どもたちが連れてこられ、家庭や学校で不適応時として扱われていた子供たちを預かることが多かったそうです。

そうした子どもたちとの関わりの中で、アスペルガーは「自閉性精神病質」の子どもに興味を持つようになりました。治療教育とはウィーン郊外に創設した養護施設での実践に基づき、1861年に刊行した著書「治療教育学-特に知的障害と知的障害施設を顧慮して」で記され、これを契機としてスイスや南ドイツを中心とした障害児教育の学問分野を指すものとして用いられた用語です。

1938年、オーストリアがドイツに併合された年にウィーン臨床医学雑誌に「精神的異常児」というタイトルで講演内容をまとめた論文を発表しました。その中で世界で最初に「自閉的精神病質」という用語を使って、自閉的特徴を詳細に説明しています。つまり「自閉症」の世界最初の報告者はカナーではなく、アスペルガーということになりますが、アスペルガーはこの重要な講演と論文について触れたことがありません。

第二次世界大戦の頃

アスペルガーはナチスの安楽死プログラムに積極的に協力して、ウィーンの小児病院で「不適当」とみなされる子どもたちを、ウィーンの精神病院内にある安楽死施設シュピーゲルグルンドに移すよう勧めました。

また、別の病院にある小児病棟の約200人の運命を決定する委員会にも所属し、ここでは35人が「教育不可能」とされ、後に命を落としています。

終戦間際には、シスターのヴィクトリン・ザック(Viktorine Zak)とともに治療教育部門に学童保育所を開きました。

ヴィクトリン・ザックは治療教育者として育成され、治療教育部門で重要な役割を担っていました。彼女は子どもへの対応に優れ、教育主任として音楽や演劇、遊戯、言語療法を用いたソーシャルスキル指導などの療育プログラムの発展に関わっており、アスペルガーにその能力を高く評価されていました。

しかし学童保育所は爆破、破壊されてシスター・ヴィクトリンは犠牲になり、アスペルガーの初期の仕事の多くも失われました。

レオ・カナーが自閉症についての発表をした1年後の1944年、アスペルガーは「小児期の自閉的精神病質」を発表しました。4人の少年を「自閉的精神病質」と呼んで、自閉症そのものと精神病質(精神病ではないが、正常との中間状態)を意味する行為や能力のパターンをまとめました。

それは、「共感能力の欠如、友人関係を築き上げる能力の欠如、一方的な会話、特定の興味における極めて強い没頭、およびぎこちない動作」というものです。自閉的という言葉は、統合失調症の陰性症状で他人との交流を持たなくなり引きこもりがちになる「自閉」という状態を表しており、現在の自閉症という概念ではありません。

アスペルガーは彼らが興味のあることについてはとても詳しく語る能力があることから「小さな教授たち」と呼びました。アスペルガーは彼らが成人し特殊な才能を生かすことができると確信し、フリッツ(Fritz.V)という子供が成人するまで追跡調査をしました。その後フリッツは天文学教授となって、子どもの頃から気付いていたというニュートンの業績の間違いを解決しました。他に2004年にノーベル文学賞を受賞したオーストリアの小説家で劇作家のエルフリーデ・イェリネク(Elfriede Jelinek,1946~)がいました。

アスペルガー自身は、人と距離を置いた孤独な子どもで友人をつくることが困難だったそうです。古典や歴史、文学に博識で、オーストリアの詩人フランツ・グリルパルツァーに興味があり、その詩を興味のない同級生に繰り返し引用していました。アスペルガーもアスペルガー症候群に当てはまる人物だったと思われます。

論文の出版後にウィーン大学で優秀な研究者に与えられる就寝身分保障制度「テニュア」による教授に就任します。

戦後

終戦後まもなくウィーン大学小児病院小児科主任教授に着任して約20年間在職し、1965年には第6回日本児童精神医学会に招待されて来日し、特別講演をしました。

1980年、ハンス・アスペルガーは亡くなり、その1年後の1981年イギリスの児童精神科医ローナ・ウィングによって「アスペルガー症候群」と名付けた論文を発表して再評価され、イギリスを中心に急速に広まっていきました。

2006年、ハンス・アスペルガーの生誕100年、ローナウィングの論文発表25周年を記念して「国際アスペルガー年」として世界各国で講演やイベントが行われました。この制定は成人したアスペルガー症候群の方たちによって考えられたそうです。

参考

Wikipedia

関西大学学術リポジトリ ハンス・アスペルガーの1938年講演論文と7ウィーン大学の治療教育2013年

AFP BB NEWS 2018年

滋賀大学教育学部紀要 H.Aspergerと「アスペルガー問題」2015年

Hatena::diary雨の日は本を広げて2011年

発達障害って治る? アスペルガー症候群の歴史

真っ白な闇を歩き続けて~ある発達障害者の手記~