発達障害におけるグレーゾーンについて

グレーゾーンの子ども達への対応について

厚生労働省の第5回障害児支援の見直しに関する検討会(平成20年5月30日)によると「気になる」(いわゆるグレーゾーンの)子どもへの対応として、現行では「気になる」子どもが発見された場合であっても、親の受容の問題等を理由として、十分な支援ができない状況があり、早期に親への支援(受容の支援)と子への支援(育ちの支援)につなげるしくみが必要ではないかと提起されています。その中でグレーゾーンへの支援が必要という意見が出ています。

同検討会の第6回(平成20年6月10日)でも、出席者の意見として、発達障がいはグレーゾーンが多くもっと早く支援を受けていたらと多くの親が振り返っているとあります。

独立行政法人国立特別支援教育総合研究所が平成21年から22年の間に行った研究成果をまとめた「発達障害支援グランドデザインVer.2」では「乳幼児期では、発達障害の可能性はあるが、確定診断がつきにくいグレーゾーンの子どもの割合が大きいことから、発達障害の可能性のある子どもも含めて支援の対象とする必要がある。」とあります。

第6回宮城県特別支援教育将来構想審議会(平成26年5月28日)の中ででた意見によると、高等学校では発達障害の疑いのあるグレーゾーンの生徒の割合が増えたと感じる。グレーゾーンの生徒は行動面など生活上の課題があり、懲戒的な指導では効果がないことは理解できるものの、どのように指導すればよいか高等学校の教員は困っているとあります。

グレーゾーンと思われる子どもは割合として多く見られ、さらに増加傾向がみられるもののその診断はつきにくく、支援や対応は難しいことや追いついていないのが見て取れると思います。

グレーゾーンであることの生きにくさ

アスペルGUYさんのブログ記事によると、アスペルガー症候群のグレーゾーンの人は、症状が比較的軽く、社会生活もある程度こなせて、医師による診断もされないものの、生きづらさを感じるそうです。

グレーゾーンのアスペルガー症候群の人は決してグレーゾーンよりも苦しみが軽いわけではなく、むしろ診断されないことから、支援を受けることができない場合が多く、社会生活をある程度こなす事ができために気付かれにくいものの、その苦労は理解を得られにくいぶんだけグレーゾーンの人の方が悩みが多いのではないかと指摘しています。

第90回日本社会学会大会研究報告(平成29年11月4日)の中で報告された「2つの形で排除される発達障害「グレーゾーン」の障害社会学的再考」によると、発達障害と「健常」のグレーゾーンにいる人々は支援から排除されやすい状況にあるそうです。1つは医学的な診断からの排除で、これは発達障害と診断できないあるいは断言できない、となってそのような人たちを救う制度が充実していないことが問題となっているそうです。もう1つは共同体としての発達障害者からの排除で、グレーゾーンの人たちを発達障害として認めずに排除することもあるそうです。

第24回横浜市発達障害検討委員会(平成24年5月29日)でも、成人期の相談支援の中で、グレーゾーンの相談が発達障害者支援センターに集中し、すぐに相談対応することが難しい状況になっていることが分かったこと。また、グレーゾーンの人はどこに相談に行けばよいのか分かりにくく、行政も相談を受けてくれるのか不明瞭で、他の相談支援機関にもグレーゾーンの相談があるとのことです。

グレーゾーンという呼称について

厚生労働省の第8回障害児支援の見直しに関する検討会(平成20年6月24日)では「グレーゾーン」は表現を変えるべきという意見があり、また「グレーゾーン」ではなく「気になる子ども」などが良いという意見もありました。

全国知的障害関係施設長会議(平成26年6月12日)のフォーラムの中では、「発達障がいは連続的な概念(スペクトル概念)であり、「どこから障害である」という明確な線引きはできない。」とあります。さらにグレーゾーンという言葉に対して「その言葉の響きの暗さやマイナスイメージを変えようと、沖縄県・名護療育園の泉川良範が「パステルゾーン」という言葉を提唱された。学術的な定義があるものではないが、発達障がいのある子どもたちの多様な特性や発達の凹凸を表すものとして表現されたものであり、グレーゾーンが黒から白への直線的発達や支援を想像するのに対して、パステルゾーンは不得手な部分を補う支援や得意な部分を伸ばす支援を行うことにより発達障害の多様な特性に対応した多面的なアプローチを行うことにつながる。」とあります。

どちらもグレーゾーンという表現は変えるべきであることが共通しています。いずれはグレーゾーンという呼称が「気になる子ども」か「パステルゾーン」という言い方に変わるのかもしれません。